近代後半…『偉大な偽善者』(~現在)

1976年。レゴランド民主主義連邦初代大統領、日虎乙津綻は就任式で次のように宣言した。
「これからの統治は忠義と従属ではなく自由と民主が尊重される。」
「佞臣や官僚によって支配される時代は終わったのだ。」
そしてこう締めくくった。「最後の封建国家は死に絶えたのである。」と。

しかし彼は民主主義者なんてものではなかった。
専制的な統治に民主主義という衣をまとわせたのだ。
そしてそれに気づくものは30年の間ほとんどいなかったといっていい。
日虎は飴と鞭を基とした政治を行った。

特筆すべきは選挙制度の改革である。
彼は元老院と衆議院を統合、民主連邦最高評議会とした。
普通選挙は1978年、初めて実施された。
この一見民主的な改革は日虎の綿密な思惑によるものであった。

連邦最高評議会の定員は800人、あまりにも膨大な数である。
評議会の議事進行は次第に滞り、大統領府が法案を提出するようになった。
評議会は形骸化し、大統領府に権力が集中することに彼の狙いはあった。そしてそれは成功した。

国民に対しては社会保障費を増額したり、税金を減額したりするなど「飼いならす」事を忘れなかった。
それを可能にできたのはその地理的要素から来る中継貿易の収益である。
国民たちは(物質的な意味で)幸せに暮らすことができた。
その一方で、政権を強化する政策を彼はとり続けた。

1985年、治安維持法制定、国家にとって不適切な思想を取り締まることができた。
1991年、共産党を非合法組織とする
1994年、憲兵隊の創設
2001年、凶悪犯罪の取り締まりのために特別高等警察を編成

日虎乙津綻は30年近く大統領の座にとどまり続け、2004年に亡くなった。
当然国葬に付され、国民の大多数は彼の死を嘆き悲しんだ。
しかし海外メディアはその様子を皮肉った。「偉大なる独裁者の死」と。

その後を継いだのが乙津綻の孫であった現在の大統領、日虎地破綻である。
彼はさっそく先代大統領が放棄していた華南の地への侵攻を開始した。
彼の帝国主義的政策が何をもたらすのか、それは後世の歴史家次第である。

外遊
市民と交わり親密な様子を示す日虎乙津綻初代大統領。

晩年
晩年の大統領。水彩画である。
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