近代前半…『民主化』への転換(~1976)

パンコク藩王国が政権の簒奪し興った第二レゴランド王国(通称第二王国)。
体制は近代的な制度に改められた。
欧米を見習い国民国家の成立を目指したのである。

特に重視したのは軍隊に関する諸改革である。
旧王国は諸藩に軍務を負担する封建軍であったが、第二王国は藩をすべて州に変更、直接統治することとなった。
強大な武力に脅された諸藩王は自ら権力を手放すほかなかった(といっても彼らの多くは中知事や地方官となった)。
しかし第二王国はやはり第一王国と同じ基礎を持っていた。
例えば領土にしても一部の華南領土が建国時の混乱により失った以外全く同じであった。
統治システムのいたるところに旧王国の残滓が存在した。

その最たるものが王権である。
国王の特権に関する封建的諸制度の多くは手つかずのまま残された。
国民国家に必要な諸制度…四民平等、選挙、代議制などは採用されなかった。
後に民主的な政治を求める声が高まり、政府は渋々1925年に議会を開き、選挙を行い、憲法を制定した。
しかしそれは全く形式的なものでしかなかった。

選挙権は高額納税している25歳以上の男子にしか与えられなかった。
議会も二院制が採用(衆議院と貴族院)され選挙自体衆議院でしか採用されず。
貴族院は政府が新明した人材により構成されていた(例えば功績を立てた人物を終身の議員にするなどである)。
直接的に政治に国民の意見が反映されることはなかった。
ある衆議院議員はこのように書き残している。

衆議院は貴族院の法案を通す以外やることがなかった。
最初は改革を志す議員も数か月議員席に座れば腐ること必至だ。
新人は背筋正しく臨んでおり、中堅は居眠り、ベテランになると最早議場にさえ来ようともしない。
これが民主政治というものなのかね。


また、第二王国は貴族や有力者の子弟を欧米へ留学生として送り込んだ。
レゴシティ合衆国やLEGO連合王国などがその代表である。
これら留学生は先進的な技術や思想をもたらしたが、後に民主歴な改革も要求することとなる。
この存在は後に大きな火種となった。

二度の世界大戦は中立を貫き、状況を見て勝ちそうな陣営に最後につくという外交を取った結果、領土は増減なく保つことができた。
しかし第一王国時代の旧制度は最早時代遅れであった。
「地上最後の封建国家」は制度疲労を迎えていたのである。
普通選挙を求める声は日々高まり、ついに国王は退位を決意する。
この思い切った決断の背景には次の懸案があったとされる。

王政の廃止は余の望むところではない。
だが奴ら狂信者(注:共産主義者の事)が政権を握ったら確実にこの国は崩壊するであろう。
ならば先手を取ってより穏健な改革にうまく持っていくべきである。


1976年、「最後の」国王は退位し、レゴランド王国は終了した。
レゴランド民主主義連邦の誕生である。
初代大統領は日虎乙津綻、国王の宰相であった人物である。
そしてこの男は偽善者の鏡であったのだ。

解放
王政の廃止に沸き立つ国民の様子。水彩画。

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