近世後半…西洋の衝撃(~20L.E初頭)

北部のレゴランド王国、そして南部後華王朝の南北鼎立時代はその後約250年続いた。
両国の間ではたびたび散発的な戦争が起こったが、国境が少し変わるだけであった。
民間の間ではむしろ友好的な関係が続き、商人たちは物産を運び民衆は平和を味わうことになる。

レゴランド王国は南進が挫折したことによって積極的に北部の進出を行っていた。
19世紀前半には華南沿岸部をほぼ制圧。入植を行うことにより更なる資源を得ることができた。
それに対して華南で抵抗する勢力は皆無であった。
華南は大小1000以上の都市国家に分かれていたためである。共闘なんてありえなかった。

さて、レゴランド王国並びに後華王朝はどちらも強大な力を有していたが統一国家ではなかった。
両国ともある程度の領地を持った領主の集合体であった。封建制に基づいた国家であったわけである。
その中で一番力を持った国が集合体をまとめ上げていた。
19世紀レゴランド半島における主役となるパンコク藩王国もそんな地方国の一つであった。

19C

平和な時代は1853年、突如として終わりを告げた。
8月のある日早朝、巨大な船が4隻どこからともなくチューハノイ沿岸に現れた。
当時の様子を王国政府の緊急報告書は次のように記している。

不審船は4隻、何れもチューハノイ沿岸二里程度の沖合に停泊している。
現在のところ攻撃を加える様子はない。
早急に近隣諸藩から沿岸防備の兵力を集めたし。
不審船は我が国に存在する最大の船を優に倍の大きさで越している。
大筒も想像を絶する数を備えている。また常に煙を吐いているが火事ではなさそうである。


その正体はレゴシティ合衆国の蒸気戦艦であった。
当時王国は西洋諸国との繋がりがほぼなく、ましてや新大陸の国とは初接触である。
レゴシティ合衆国のほうも当時数隻しかなかった最新鋭の蒸気戦艦の半分を送り込んできたのである。

理由は通商海路である。
地理的にレゴランド半島はアフィリアや西イージアと貿易するうえで邪魔極まりない立地であった。
逆に言えばここを補給基地化すれば合衆国にとって大変有利となる。
そのため国の威信をかけて最強の戦艦を持ってきたのである。

王国はすべての条件をのみ開国するほかなかった。
現在大都市である上杯、シンガボーロはこの時初めて作られた街である。
なるべく「西洋の衝撃」を抑えるために首都チューハノイから離れた場所を貿易港とした。

開港

貿易はレゴランド王国の統治に大きな影響を与えた。
工業化を成し遂げて久しい西洋の加工商品に半島の手工産業は太刀打ちできなかった。
結果資源を輸出して加工商品を輸入することとなる。
王国の大都市は失業者で溢れた。また、大量の金が代価として国外流出したと言われる。

その隙を狙ったのが半島南部のパンコク藩王国である。
もともと王国に服属していた藩は、公然と軍備を蓄えはじめた。
合衆国から武器を輸入して最新鋭の軍隊をそろえた。
王国はたびたび抗議するが最早影響力は皆無であった。
合衆国側も武器が売れれば何でもいいと考えていたようである。

そしてついに1867年、王国はパンコク藩王国に対して追討軍を派遣する。
しかし後込め式ライフル、西洋式の大砲を装備していた藩王国軍に対して一瞬で潰走したのである。
王国軍の装備はいまだ槍と鎧であった。予算不足で装備を行進する余裕がなかった。

藩王国軍は圧倒的な速度で進撃した。
その後3ヶ月でチューハノイを無血開城。
抵抗する勢力もおらずレゴランド王国の旧版図を治めた。
余勢をかって返す刀で後華王朝も攻略。わずか半年であった。
1868年、北部と南部を統一したパンコク藩王国はレゴランド王国と名乗ることとなる。
後世この王国は第二レゴランド王国と呼ばれる。

藩王国軍
最新式のライフルで固めた藩王国軍兵

後華王朝兵
後華王朝の兵隊たち
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駄作兵器と失敗兵器と旧兵器が大好きな人。
ロマン溢れるいろいろと歪んだ兵器をレゴで作るのが趣味。

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