古代…誕生~華王朝の崩壊(~5L.E)

紀年法はLEGO連合王国さんと同じレゴ暦を使っております。
紀元前はG.O(Globe Older)=旧世界 紀元後はL.E(Lego Era)=レゴ世界となっています。



本国
<現在の民主連邦の図>

どの国も同じように、明確に国の始まりを指定することは難しい。
人が住んでる痕跡なら紀元前5000年に、国のようなものなら紀元前後年程度の地層で見つかっている。
しかしその頃は文字が全くなく、人々は何千年にもわたって同じような生活を繰り返していたようである。

その頃発展していた場所はやはり大河の流域であった。
チャイプラヤ河流域は現在も地味が肥えた穀倉地帯であったが、紀元前後のレゴランド地方でも変わりはない。
定期的に起きた河の氾濫は栄養を大地に運んでくれた。
土器や石器、家の跡がこの地域から圧倒的に多く見つかることも、当時の人口がここに集中していることを示している。
紀元前1000年程に伝わった稲作、紀元前後に伝わった鉄器、いずれもチャイプラヤ河流域から生産が始まっているのである。一部では独自に鉄器を作っていたという。
それに比較して南部地域は依然として石器を使っており、人口もまだまだ増えなかったとみられる。

しかしレゴランド地方より増して発展していた場所が華南地方北部、寵江流域である。
既に紀元前1000年頃には都市国家が形成されており、原始的な文字も持っていたのであった。
紀元前1000年~紀元前後の華南地方は都市国家が攻めたり滅ぼしあった一種の戦国時代であり、レゴランド地方は彼らから見れば明らかに「蛮族」であった。

そして紀元35年、ついに華南地方に統一国家「華」が誕生する。長年にわたる戦国時代が終結したのであった。
戦国時代を勝ち抜いた華王朝は先進的な技術とそれに伴う圧倒的な軍事力を保持していた。
当然、その軍事力が外に向いていくのも当然の成り行きである。華王朝の興味が南部、すなわちレゴランド半島に向かっていくのも仕方がないことであった。
当時の史料である『華書地理誌』には当時のレゴランド地方の様子をこのように記している。

黎護蘭土は三百程の多くの国々に分かれている。
一つの国には千人、多くても五千人ほどの人口であり、我々が言う国というより都市に近い。
当地に住む人々は簡単な稲作や鉄器を知っているものの独自の文字はなく、通詞がかろうじてわかる程度である。
そこで我々は文字を教え、愚かな人々を教化することにした。多くの国々が我が王朝の徳に懐いている状態である。
彼らは稲作の他狩猟や魚も食べる。服は布に穴をあけ被った簡素なものである。多くの人が刺青をしている。
我々は彼等に布や鉄器を与え、代わりに金銀宝石を貢がせることとした。


記述からもわかる通り、明らかに彼らは「上から目線」から書いている。それは何故であろうか。
華王朝はその圧倒的な文明度の違いから彼らを蛮族とみなしていた。いやそれどころか自分達こそが世界の中心と考えており、周辺地域は劣ったものと思っていた。
これを「大華思想」と言い、この考えは後の南東イージアに大きな影響力を与えることとなるのである。

当然、彼らは黎護蘭土地域との実質的な交易も交易と認めなかった。
貿易とは対等な国同士で行うものだからである。
彼らは「愚かな」民族に布と鉄器などの「先進的なものを与え教化し」、「ありがたみを持った」蛮族が「金銀宝石を献上する」という考え方で交易をおこなっていたのである。

しかしよく言えば「自信をもった」、悪く言えば「傲慢極まりない」思想は一つの条件を持つ。
それは彼我の軍事力が圧倒的に違う、という条件である。
建国から黄金時代まではそれでよかった。質量共に華王朝は周辺と比較して卓絶していたためである。
しかし建国から400年、5世紀も後半に差し掛かるとそう甘い状況ではなくなっていた。
既に制度疲労が進み、辺境は「蛮族」によって徐々に浸食されていたのである。
皮肉にもその原因は自らが進めた周辺民族の「文明化」により力関係が弱体化したからであった。
「大華思想」は自らの首を絞めたのである。

476年、最後の皇帝は北方の遊牧民族により首都で包囲され宮廷で首を吊る事となる。
そしてこれを境目に「中世」に突入するのである。
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駄作兵器と失敗兵器と旧兵器が大好きな人。
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